昭和56年12月27日 朝の御理解
御理解34節 「此所へ参っても神の言ふ通りにする者は少ない皆帰ってから好いやうにするのでおかげはなし神のいふ事は道に落として了ひわが勝手にして神を恨むやうなものがある神の一言は千両の金にも代られぬ有難受けて帰れば土産は船にも車にも積めぬ程の神徳がある心の内を改める事が第一なり神に一心とは迷いのない事ぞ」
昨日の朝の御祈念の時にまあそれこそ世界万国津津浦浦と、その内容を私の知っておる限りの国の名を唱えさせてもらって御祈念をするんですが。昨日韓国の事を願わして頂いた時に『ソウル』と言う事を頂いたんです。 だから韓国そしてソウルと言うようにまああのお願いさして頂いたら昨日そのソウルからあちらに行っとられる方から手紙を頂いた。何か深い御神意、御神慮がある事だなあとまあ思わせて頂いたんですけれども。その中に「目覚むれば百済の国や梅匂う」と言うような句が書き添えてございました。 目覚むれば百済の国や梅匂う。勿論百済と言う事は朝鮮の事でじょうね。ふっと目を覚まして本当に日本におるのぢゃない、今自分はソウルの地におるんだと。御主人が勤めの関係であちらへ行っとられますから。そしてまあ、あちらで「おかげの泉」「合楽だより」をまあ拝読しておられる方なんです。
昨日朝電話がかかって娘が名古屋の方から娘達夫婦・子供、帰って来とりますから是非合楽の金光様にお参りしたいと申しますからと。それで電話を頂いとりましたから、まあ丁度電話がかかってあちらは新田原の方ですからやっぱ時間にして二、三時間位かかるんぢゃないでしょうか。そのつもりでお待ちしてましたばってん見えませんもん。
昨日私、急に用件が出来て久留米にちょっと出かけなきゃならない。もう行ってすぐに帰って来る用件なんですけれども、その事をだから見えたら待たせておいてもらうようにと言うて表まで出ましたら、出ましたのとその方達が着いたのとが一緒であった。 道を迷うて時間がとりましたからとこう言うのです。まあけれども又すぐここへ着かせて頂いて、まあ取次させて頂いたんですけれども。先だっても話したように名古屋からと言うてお参りをして見えた御信者さんがもうそれこそ一晩泊まりであったですけれども、合楽の信心にそれこそ傾倒してしまわれて、もう言うなら長年探しに探し求めに求めておった信心がここにあったと言う事です。その喜びを自分の同心の方達にもう話される。
ですからその方達も是非一つ皆で御参拝のおかげを頂こう。中にはまあ五日でも一週間でもよいからあちらで修行でもさしてもらいたいと言ったような熱の入れようである。
私はその事からまあ色々神様お働きと言うものが神様の只偶然とか言ったようなものぢゃなくて、そこに確かに御神慮あっての事であると。今まで名古屋からは関係がございませんでした、ここには。ところが名古屋からそう言うようなお参りがあった、したら昨日お参りをして来たのもやっぱり名古屋の方達でした。
全然それとは関係がないのですけれども、しかも私は神様の御神意の中にあるなあと言う事をです。いや向うも私が出る時間と向うがここへ着かれる時間が一緒であったと言う事の中に非常に不思議を感ずるし、又昨日只韓国と言うお願いがソウルと言う事を頂いてお願いさして頂いとったら、昨日ソウルの御信者からお手紙が来たと言う。思えば思うほど深い御神縁と御神意の中にそう言う働きが合楽を中心にして起こってるわけです。
ね、そう言う不思議な不思議な働きと言うか御神縁に操られれると言うか。皆さんは日々日参のおかげ朝参りのおかげを頂いとられるのですよ。そう言うね不思議な不思議な働きの中にそう言う御縁を頂いて朝参りが出けておられるのです。
だからその辺の不思議を思うたらです。私はもちっと本気で言うならば御教えを頂く行ずると言う、いわゆる本気で実験実証さしてもらおうと言う事にならなければならないと思うんです。
そして皆そんに頂いてもらいたいと言うのは御理解百節にありますようにめだ目出度目出度の若松様よ枝も栄える葉も繁ると言うではないかね。金光大神様はその家繁昌子孫繁昌の道を教えるのぢゃとこう仰っしゃる、不思議な不思議な縁に操られて合楽に御神縁を頂いた。頂いたと言う事もそう言う不思議な必ずソウルとか名古屋だけの事ではないね。
毎日日参のおかげを頂き、朝参りのおかげを頂いとるほどしの縁を頂いとると言う所に、ただならないものを皆さんが感じる事によってね。言うならば今日も一日いわゆる金光大神の教えて下さる家繁昌子孫繁昌の道を本当に体得しようと言う気構えと言うか構えが出来るわけですね。
折角そう言う不思議な不思議な働きを頂いて御縁を頂きながら、これは合楽の皆さんの場合です。そう言う不思議な働きを頂いて御縁を頂きながらです。ここで聞いた事は途中で落としてと言う事は、それを一つも守りもしなければ実行もしないと言う事であったら、こんなに勿体ない話しはないでしょう。
有難く頂いて帰ればね、お徳は船にも車にも積めぬほどの神徳がある。そう言う不思議な御神徳を頂かせて頂く為にはね。私皆さんに今日はね。決して私は昨日から今日にかけて感じておる不思議な神様の働きだとね。と言うその不思議な働きを皆さんが合楽に縁を頂いたと言う事は、もうただならない事だと言う事をまず分かられる事、そしてそこに深い御神慮あっての事ですからその御神慮にいよいよ添い奉ると言う事が教えを頂く事であり、行ずる事であり合楽理念の実験実証なんです。
どんなに言うなら神様が願われる世界万国津津浦浦にと言われるどこへおっても私は天地の親神様の懐として思いと言うかね。その実感が頂けれるだけの信心を頂きたい。どこにおってもね。それこそ時間空間と言うものを問わずにね。おかげの頂けれる神様を本気で頂きたい。その神様のお心を対して生活さして頂くと言う事がです。いわゆる御理解百節のいわゆる目出度目出度の若松様よと言ういわゆる子孫繁昌家繁昌の道につながるのですね。
ただ、ただお参りをしておかげを頂いたと言う事だけではなくてね。そう言う子孫繁昌にもつながるような信心になってはじめて御神縁を頂いた、言うなら値打ちがあるのであり、為にはどうしても私共がそう言う不思議な働きの中に私共が御縁に操られて合楽に通うておるんだと言う不思議をね。皆さんが感じなさったらね。もちっと本気でその不思議を追及しよう、その不思議を探求しようとする心。いわゆる本気で合楽理念の実験に取り組ませて頂く大切さとか喜びと言うものを頂く事が出来ると言うふうに思います。
もう本当にね。それは確かに不思議な不思議な御縁で私と皆さんとのつながりが出けとるとですよ。もうそれは只単なるもんぢゃないですね。それこそ神聖なもの、神様の御神慮あっての事。そして合楽との縁を受けて合楽の信奉者としておかげを頂いていくのですからね。言うならば合楽理念がね、身につくおかげ。合楽理念が家庭の中に一つの家風ともなって残るようなおかげを頂いてね。
教祖が仰っしゃる金光大神は家繁昌子孫繁昌の道を教えると教えられるのは、そう言う道を教えて下さると思うんですね。
「どうぞ」